2004年07月29日

だからそんなことをしたくないわけじゃないっていいたいわけじゃないんだ

今日のやっほーニュースより:
細田長官は「首相も『(将来的に)引き上げないとは言っていない』と明言している」
しょーひぜーのことです。それにしてもすごい言い回し。Ha detto di non aver detto di non farcela. ですか。5パーセント,という現在の金額はこちらとかと比べると大分安い気がするんですが,直接税や保険その他もろもろのシステムがまったく違うのでなんともいえません。社会保障うんぬん,というのはつまりは年金のことかな。
2004/07/29 (Thu.) 12:10:11
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2004年07月20日

3種類

「煮詰まる」。この解説はよくできている。新しい用法は「的を得る」に近いものがあるなというわけで私は使いません。

「適当」。適切な方法で,というのが本来の意味かな。「いいかげん」というのも言葉としては似ている。

逆接の言葉。会話で多用しすぎると否定的な印象を与えてしまいがちな一方で,客観的な分析をしようと思ったら必ず必要になってくる。確実に答えがわかっている問題よりもそうでない問題のほうが圧倒的に多くって(そうでなければ問題にすらならない),最後の結論に「だが」ではじまる留保がつかない論文は大抵信用できない。

猫旅さんの「口癖=思考」にトラックバック。
2004/07/20 (Tue.) 08:22:23
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2004年07月10日

遠距離恋愛その2

帰国の日が近づいていて,仕事で忙しいところに,私生活でもちょっといろいろありまして,更新が滞っておりました。後者のほうはなんとかひと段落しましたので,徐々に更新のペースを戻していきたいとおもいます。

ブログは遠距離恋愛を危うくする」の続きみたいなことを書いてみましょうかね。えっと,今回はブログぬきで。例によって一般論です。

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2004年06月29日

おもいついたこと

また突然ですが,「ブログは遠距離恋愛を危うくする」という命題を思いつきました。一般論ですのでそのつもりで。なんだかこれだけ書いただけで,恥ずかしくなってきたので,続きは追記にしよう。

河水風文さんの「正しいことをしたければ・・・/男であること・女であること」の記事にトラックバックさせていただきました。


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2004年06月28日

no title

朝目がさめてベッドでごろごろしているのは気持ちいい。
夜寝る前に眠れないままベッドに横になっているのは不安になる。
posted by mm at 18:27| 静岡 ?J| Comment(2) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

仮説間の整合性

突然ですが,歴史というのはある意味とても妥協的な学問です。えーっと,しょっぱなから語弊をまねきそうなんですが,私はそうとらえているということで。業界(どんな世界だ)の一般的な意見とかではありません。

たいていの学問というわれているものにはつきものなのだろうけど,特に歴史関係のものに関して顕著なのは「ある命題を証明するための証拠はすでに失われていて,決して確実な答えは得ることができない」かもしれないという,なんていうか非常に達観した前提です。たとえば,私のやっているようなこと,ある絵が何年に制作されたかというのは,はっきりいって「わかることもあるし,わからないこともある」。たとえば,教会に保存されている古い支払い文書なんかに目を通して,たまたま運が良く,ある絵に関する支払いが記録されていたりしたら,もしかしたらある絵が制作された年がわかるかもしれない。しかしまぁ,実際はそういった文書は失われてしまっていて,わからないことのほうが多いわけです。

じゃあそういう非常に悲観的な状況のなか,どうやって前に進んでいくかというのが問題になるのだけど,このあたりが非常に妥協的だなとおもうところです。まずはある事象を説明するために,ある仮説を立てる。別の事項を説明するために,別の仮説をたてる。また別のものを説明するために,別の仮説をたてる。この作業をずっと繰り返していって,できるだけ多くのことを矛盾なく説明できるような仮説の体系を築いていきます。しかし実際にはそんなにうまくいくことはなくって,どこかで個々の仮説の間に矛盾がでたりして,その体系がうまく機能しなくなてしまう。

どうしてそうなるのか,というのは簡単で,仮説というのにはどこかに間違いが含まれているからです。そうしたら既存の体系に組み込まれた無数の仮説の一部をいじってあげて,全体の矛盾が少しでも軽減するようにつくりかえてあげる。

なんだか抽象的な話になってしまったので,ひとつ例をだしましょう。たとえばある絵の右下の隅に「1602」という数字が描かれていたとします。まぁたとえば,手始めにこの数字を「作品が制作された年」だとする仮説を立ててみましょう。絵を見ないでこの話だけを聞けば,まぁこれがもっともな解釈です。「非常に信頼性の高い」仮説だと言ってもいいでしょう。じゃあその数字が書き込まれた絵が,この絵だったとしたらどうですか?(実際には書かれていませんよ。絵の作者はこの人です)こうなると話が変わってきます。この絵が1602年に制作された,という仮説は無数にある他の仮説と矛盾するのです。17世紀の初頭に,もしこういった画風で描かれた風景画が存在したとすれば,それはもうとてもスキャンダラスで,いままでこの学問が築いてきた全ての仮説体系を一から見直さなければなりません。もちろん,そういう可能性だってまったくないとは言えない。しかしそうするよりも,問題の数字に関して別の仮説を立ててあげたほうが,全体を無理なく説明できる。たとえば,「この数字は2月16日を意味している(ある種の地域では日付を先に書きます)」だとか,「この数字は画家が書き込んだものではなく,あとから第三者が捏造したもの」だとか,あとは「『1902』という数字の書き損じで『1602』となった」とかのほうが,(どれもところどころに不自然なところがありますが)全体としての仮説の体系を矛盾のより少ないものに保つことができるわけです。

   * くりかえしますけど,上の話は全部てきとうにでっちあげたものです。まぁ,この種の話自体はよくありますけど。

もうちょっと卑近な例をだしましょう。今日は何曜日ですか?いまはこちらは,0時41分なので,月曜日になって少したったところですね。一応パソコンの時計にもそう表示されています。でもどうして火曜日じゃないんですか?もしかしたらパソコンの時計は狂っているかもしれないし,日めくりのカレンダーは一日間違えてめくってしまったのかもしれないし,昨日の朝刊の日付だって誤植だったのかもしれない。しかしまぁ,そういうふうに考えるよりは,「火曜日だと思っていたのは自分の勘違いで,本当は月曜日だった」という仮説をたてるほうが,全体を無理なく説明できるわけです。

とくになにを言いたいというわけでもないけれど,まぁなんとなく書いてみました。こんなことはなんていうか,もう言い古されていて目新しいことなんてないと思いますが。しかし一時期はやっていた,「だから唯一の正解だなんてないのだから,適当なことを華々しく言っておけ」みたいな風潮が最近やっと下火になってきたのは(そうじゃないかもしれませんが,そうなっていることを願います)なんていうか個人的には住みよい世界になってきたなと。○ル○チャ○○・ス○○ィ○ズとか結構鬼門な人間なのです(いつもより伏字がサービスです)。えっと,全部が全部そうだというわけじゃないんですが,他の仮説との整合性とを考えずに,閉じた環境のなかでのひたすらに美しい仮説の構築のみを目指すとかって,なかなかそこまで達観することはできません。もっとなんていうか,いろいろなものが絡み合った非常にどろどろとした世界が好みなのです。
2004/06/28 (Mon.) 00:46:27
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2004年06月10日

コーヒー・紅茶

風邪はすっかりよりなったので,早起き生活にもどして朝ごはんをたべてきました。
すこし前にこちらに留学している日本の人にあったのだけど,日本で住んでいたところが近所で,しかもお気に入りの喫茶店までいっしょだったというのでびっくりでした。その人は私がそこに引っ越す前に別のところに言ってしまったので,ばったり会う,ということはなかったのだけど。しかしこちらは,エスプレッソ以外のコーヒーが強烈にまずいです。まさかエスプレッソ用の豆を使っていれている,ということはないとおもうけど。唯一許容範囲なのは,朝食ででるコーヒーだけかもしれない。そして紅茶はどんなにちゃんとしたカフェに行っても,いつでもどこでもティーバッグです。以前アパートに住んでいたときは,郊外の大型スーパーでティーバッグではないお茶の葉を買いにいっていたのだけど,今の部屋はキッチンがないので自宅では入れられません。やっぱり品質を維持するためにはある程度の需要は必要なのだな,と納得してみたり。なんていうことをドイコーヒーのページを見ながら考えていました。さて,今日はひさしぶりに家でのんびり勉強です。
2004/06/10 (Thu.) 08:03:46
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2004年06月01日

2004年05月28日

no-title

ちょっと怒っているのかもしれない。家に帰るまではたんに機嫌が悪いだけだと思っていて,「怒ってる?」と聞かれたときも否定したのだけど,こうやって椅子に座って心拍と呼吸の深さを感じられるようになると,怒っているのだということがわかる。シャワーをあびておさまればよいのだけれど。
2004/05/27 (Thu.) 22:42:56
posted by mm at 05:42| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月27日

電車のなか

電車のなかではたいしたことはできないので,たいていはパソコンで映画をみたり,こうやって日記を書いていたりします。今日ちょっと仕事をして,原稿に手を入れていた。といっても,いまここでいろいろ考えていたというわけではなくて,昨日ちょっと Francesc.に見てもらった原稿の朱をファイルに反映していただけです。

普段は原稿は Giovann.に直してもらっているのだけど,今やってる原稿はちょっとした量になるので,最後に彼女に頼む前に少しずつ,手近のイタリア人を掴まえてみてもらっておいたほうが良いかなと思って。しかしあれですね,Francesc.なんかは理系の学生なので,私の書くイタリア語が古風に見えるらしくってくすくすと笑っていました。Donde とか dalla qual cosa とか,いわれて見れば古い論文でしか見たことがないな,という表現です。日本語でいうと「いわんや」とか「かかるゆえに」とかいう感じでしょうか。文系の論文というのはえてして古臭いものだし,このあたりは16世紀文学専門の Giovann.チェックだとスルーなところです。

ところで,イタリアの電車というのは4つの席が2つづつ,向かい合わせになっているのだけど,隣のおじいさんと斜め前のおばあさんの話が白熱しているらしく,おじいさんがさかんにひじを振り回してちょっとおっかない。
2004/05/26 (Wed.) 09:25:08
posted by mm at 07:02| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年05月10日

ぶつよくでじかめ

知り合いがデジカメを買いたいというので,食事時のテーブルはその話。200万画素のが150ユーロ,とかのを見たんだけどどうかな,とか。いまどき200万画素?という話になって,しかしそんな対して綺麗な写真はいらないし,とかそういうことになる。

私自身はお金さえあるんだったら,(あたりまえだけど)できるだけ画素数はあったほうが良いと思う。印刷したときの画像が綺麗,というよりかは細部が拡大できるというのに使い道を感じる。たとえば400万画素の望遠めいいっぱいで撮った写真の一部を200万画素のサイズでトリミングすれば,200万画素の同じ倍率の望遠で撮ったのより(画質は同じで)さらに大きくなる。接写に関しても,400万画素でめいいっぱい寄ってとって,同じようにトリミングすれば,200万画素よりもさらに細部に接近した(ような)写真がとれる。

そういうわけでいまだったらたいして値段もかわんないし,あと50ユーロだしてせめて300万画素クラスにしたら?と勧めてみましたが,なんだか200万画素を買いそうな雰囲気でした。こういうのは使い道によるんで,最終的には本人の好き好きですし。

私自身は400万画素のを使っています。レンズもそうだけど,補色フィルターを使っていて,明るめに撮れるのが,教会などの暗いところでとるのには便利です。でも安物なんで,400万画素めいいっぱい使うとモワレのようなものがでるんだよね。デジタル処理で拡大しているわけではなさそうなのだけど。

しかし一眼レフと比べてやっぱり不便なところもあって,うーん,いまの物欲は一眼レフデジカメですかね。とりたててプロフェッショナルな趣味ではないんで,いまさらアナログ一眼レフに戻るというのも面倒だし。現状で特に不満だというところをあげてみると,

  1. フォーカスがオートしかない。→ 絵みたいな平面的なものを取るときに,ピントがあわないことがあってこまります。あと暗いとこ。

  2. 外付けのフラッシュが使えない。→ 安物だから。表面にワニスをかけた絵をとるときは,普通のフラッシュだと100パーセントてかります。まぁフラッシュが使える(つまりちゃんと手順をふんで撮っている)ようなときはたいてい三脚が使えるのでそれほど問題にはなってないかもしれないけど。あと大きな壁画とかは私の手におえるようなものじゃないし。

  3. 3倍の光学ズームは微妙。あともうちょっと。 → 大きな絵とかの上のほうをとるときに,少し離れて望遠で取れたらいいなあと思います。そうすれば仰角が小さくなるから。1年くらい前にコンパクト型デジカメで12倍というのがでたけどあれはすごいですね。ちょうどその直後に,同じシリーズで発売後1,2年くらいたっていた現在のカメラをかなり安く買いました。

    えっと,これくらいかな。思ったより少ないですね。シャッタースピードと絞りを両方ともマニュアルで合わす機能がほしい,とかもあるけどこれは絞り補正でなんとかなるものだし。400万画素いっぱいでとったときにモアレがでるのはいやだけど,画素数自体は400万あればとりあえずはいいかな。大きければそれにこしたことはないけど。あと最近の最新機種はテブレ補正機能とかがついているらしいのだけど,あの効果はどんなものなのだろう。これも暗い場所や望遠のときは便利そうですね。しかしいまのところの不安定な収入だと当分は無理かな。アナログ一眼レフも中古を安く買ったものだし。
posted by mm at 01:13| 東京 ????| Comment(0) | TrackBack(0) | つれづれ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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